2008年09月13日

伊江島が教えてくれたこと。

4日間、沖縄の北部にある小さな島、伊江島で過ごした。

東京近郊をはじめ、福岡、宮崎、そして地元沖縄…と
各地から約30名の大学生を中心としたメンバーが集まってくれた。

伊江島が教えてくれたこと。

伊江島というフィールドで
大自然にふれ、より深い自分に出会う旅。
裏方全般を頼まれ、O型らしく「縁の上の力持ち」をさせてもらう。
普段と違う環境で、多くの気づきがあっただろう。
私自身も、たくさん考える事があった。

平たく言えば「若者向けの人材育成」に携わる私だけれど
あまり「教える」のは得意ではないし
むしろ自分でやってしまうことの方が多い。
その方が早いし、相手の出来に文句を言うくらいなら
自分でやった方がいいと思う。
気づいてくれないと言うなら、頼めばいいし
基本的に自分の守備範囲を完璧に守りたい。
それでもついつい自分基準で考えてしまって
「何で気づかないのかなぁ」と思っては
相手は自分じゃないんだから、
そうしたければ自分ですればいいとたしなめる。

しかもこう見えて人見知りなので
人を信頼するには時間がかかる。
でも直感型なのでピンときたらあっという間に心友になったりもする。

今回も、自分の役割はこれだと決めたものを持って、島に渡った。
もちろん集まったメンバーはほぼ初対面なので
様子を見ながら細部は調整していく。

頑固だけど、柔軟。
臨機応変に対応するけど、「予定外」はキライ(笑)
不測の事態でもないのに
決まったとおりに事が進まないとイライラしてしまう。

まだまだ修行の足りない私は
今回も最初から発生したもろもろのせいで
「話しかけるなオーラ全開」。
参加メンバーにはずいぶん気を使わせてしまった。

誤解を恐れず、言ってしまうと、「学生」が好きではない。
今回改めてそう思った。

「大学生だから」何だというのだ。
自分が中退してるひがみに聞こえるかもしれないけど
「大学生だから」許されることなんて、ない。
ひとりひとりを見ずに、ひとくくりにしてしまうことは
しないように意識しているけど(できてないかもー)
明らかに、「学生」というシールを貼って歩いているのが見えると
すっと避けたくなるのだ。

まだ大学生だったころの私は
もう思い出したくないくらいのひどい『学生』だった。
未熟さを若さのせいにして、大目に見てもらっていた。
「若いのに、すごいね」に甘える自分が大嫌いだった。
目の前にある、「やるべきこと」「できること」にも気づかず
「やりたいこと」を探すふりをして
「いつかはこうなりたい」とたくさんの夢を語った。
でも今になって考えると、それは夢でもなんでもなかった。
共感し、うなずいてくれる味方に甘え、
実現に向けて厳しい声をかけてくれる人を心の中で避けた。

そうするうち、もう厳しい声をかけてくれる人はいなくなる歳になった。

幸いにして、私の周りには両親をはじめ
言いたくない事もきちんと言ってくれる人がいた、し、今もいる。
すべてを素直に聞いていた訳ではないけど
おかげさまでずいぶんいろんなことに気づけるようになった。

「気づく」というレベルも人それぞれだから
自分基準だけでものを見てはいけない、とは分かってはいる。
でも「意識を高く持て、ただやるな、なぜかを考えろ。」と
少し考えて物事を進めるだけで、明らかに結果が変わる。
なのに、なぜそうしないだ、と勝手に怒る自分がいる。

「藤原って、何でもできるよね。自分にはできない。」と言われる。
そんなことはない。
そんなはずはない。
やってみたいことにとりあえず手を出しているだけで。
この世の中には「誰にだってできること」のほうが
多いはずだと信じて来た。
もちろん、そうでないこともあるけれど
だからこそ私たちはそれぞれ違う存在なのだ。

母はいつも私に言う。
「まず、やることやってから言いなさい」
やりたいこと、も大事だけど、
やらないといけないことにも一生懸命になれない人が
どうして夢を叶えられるだろう。
そう言われて育った。
ずいぶんその意見には聞こえない振りを決め込み
夢の大切さを語って来たけれど
やりたいことのためには、まず、やることがあると
そのやるべきことがやりたいことに変化すると気づかせてもらった事に
今更ながら感謝している。


「何をやっていいかわからない。」という相談をうけたりする。
大きな声でまだ言えないけれど
昨日、思いついたプロジェクトがある。
今日の夜の時点で、既にプロジェクトは第2段階へ進んだ。
「本当にやりたいこと」は、そう思った時点で始まっている。

「いつか」はない。「今」しかない。

そんな思いの果てに、「どうでもいい」という感情が生まれた。
そこに至るまで、いろいろ考えた。

伊江島最後の夜、振り返りをしている間、
私はその場に混じらずにいた。
ずっと行程は別にして、準備にいたし
突然混じっても良くないと思ったからだ。
メンバーの勧めで、隣の体育館にいることにした。
寝室を兼ねた和室から、白熱した振り返りの声が聞こえてくる。
…と思いきや
「素直な今の感情を」と言われて
「正直眠い」という声が聞こえた。
もちろんそれだけではなかったのかもしれないけど
なんだか虚しくなって
いろんな感情が湧いて来て、声が聞こえないところまで離れた。

戸締まりを責任持ってやりたかったから
みんなが寝るときまで体育館で待っていた。
気遣ってくれたのはメンバーだった。
「終わったら、起こさせてもらいますんで。」
最初は本を読んだり、調べものをしたりしていたけど
いつの間にか、うとうとしていた。
その時、わぁっという声とともに和室から人が流れて来た。
電気こそつけないものの、何を気にするでもなく、走ったり、庭に出たり、
そして、あちこちで話している声。
休憩なのか、終わったのか。
よく分からなかったけど、その時私の中で何かが切れた。
リーダーに一言、「外に行く」と告げて、車に座って夜を明かした。

朝、起床時刻にカギを外から開けて戻った私に
リーダーは「すみません」という。
「でも、どうしてもこの時間が必要だった」と。

違う。
待たされた事ではなく、
「悪いから、寝て待っていて」と言った言葉や気遣いは
まったくウソじゃないかというような行動に
どうしようもない思いがしたのだ、と伝えた。

もやもやしたまま、出発の時を迎える。

それでも、島でお世話になった方とのお別れのとき、
感動や満足感に満ちたメンバーの表情を見ていると
良かったのかなぁと感じる一方で
同じ裏方で一生懸命サポートしてくださった皆さんと比べて
何とも大人げない自分が小さく見える。

「あなたのおかげです。よくがんばりました。」
島でお世話になった方からの手紙。
私以上に、島で奔走してくれた方が
昨日の夜中に書いたものをそっと渡してくれた。

あぁ、私なんて、まだまだだ。
『心づくし』とは、こういう事だと教えてもらう。

少し気持ちがやわらかくなったところで、下船。
メンバーから感謝の言葉をもらい、
私も思いを話させてもらった。

きれいな言葉で、見送ることもできた。
でも、あえて少し厳しいことを言わせてもらった。
まっすぐこっちを見ていた。

「藤原は、厳しい」と、言われるけど
(言い方に問題もあるって自覚してます)
当然じゃないか?と思う事も多い。
それでも「やってあげているのに」という傲慢な怒りは
ここ最近、ずいぶん自分の中で減った。

例えば、夕食が19時からだから、と声をかける。
ワークショップの余韻に浸りたい時間を裂くように
さっさと移動を促す私を疎ましく思った人も多かっただろう。
でも、「みんながみんなでやりたいこと」のために
「今は、何をすべきか」を考えて行動すれば?と提案したまでだ。

今が何をする時間か、次は何をする時間なのか。
何のために?どこに行く?何をすればいい?
どうして指示を待つのか。
遠慮は、ただの受け身だ。

そう。
「私は困らない。」
心からそう思った。

「だから言ったのに」ではなく、
今回の私の役割は、みんながやりたいことをできる環境を作り、
最低限守らないといけない情報を伝えること。

「どうでもいい」の正体はこれだった。

ご飯が冷めても、予定が狂っても
他の方に迷惑かけなければいい。
でも、30人もいれば顕著だけど
団体で行動している時、
個人の小さな「主張」は、完全に全体の迷惑なのだ。
出発します、なのに忘れ物。
集合、だけどトイレ。
それを許すのがやさしさというのなら、仲間を大事にというのなら
そんなものは、私はいらない。

みんなが決めて、それでいいと言うなら
そこで私がイライラする必要などどこにもない。
それで私が困る事もない。

だから、「どうでもいい。」
責任逃れではない。
逃げでもない。

加えて言うなら、意識が足りない人より
気づいて、やりますと言って、出来ない人の方が気になる。
ありがとうと言われた思いに悪い気はしないけど
本当に思っていたら、そんなことするだろうかと疑いたくなる。

もちろん関係性が深まって、そこを越えると
多少、細かい事があっても、気にならなくなっていく。
相手がしないこと、できないことも分かるし
だからこそ、自分が出来ることも分かる。
愛されている、大事にされている、だから大丈夫、という安心がある。
むしろ、そこに安心してないと、一緒に大きな事はできない関係。

それが、お互いに自立した理想の関係だと思う。

自立するということ。
相手を尊重するということ。

各々勝手にする、のではなく、
ちゃんとあらゆることを自分で決める一方で
周りの中に自分がいることをきちんと分かっている。
その中で自分が果たす役割をその場その場で見つけ
一生懸命にやる。
そこから関係がひろがり、
まわりをサポートすることも、自分の役割になっていく。

それだけしかないのに。

じゃぁ、そんな関係を今回も築こうとしたのか。
というと、あんまりそこは意識しなかったように思う。
…と、振り返ると、ますます訳が分からなくなってきた。

昔から、口で偉そうな事を言うのは得意だ。
自分だって、まだまだ足りない事だらけ。
言って、できてないこともたくさんある。
それは分かっている。
だからこそ、自分の弱い部分を見るようで嫌なんだと思う。

並行して、写真を整理していると、
とってもいい表情がたくさん。
「思い出」という言葉では片付かない
いろんな思いが映っていた。
そんな一面も見ようとせず、メンバーを「学生」だと
ひとくくりにしたのは
むしろ私の方だったのかもしれない、とも思えて来た。

そんな風に書いているうち、ずいぶん時間が経った事に気づく。
気がつけば、28歳になっていた。

1時。
めったに鳴らない玄関のチャイムが鳴る。

見慣れた顔ぶれ。
私にとって、かわいい弟や妹のような存在であり
心地よく過ごせる仲間でもあるメンバー。
豪雨の中、決して近くはない距離を訪ねて来てくれた。

歌とケーキと、色紙のプレゼント。
こんな風に大事にしてもらうことを
心から嬉しいと思えるようになった。

伊江島が教えてくれたこと。

ありがたい。

音を切っていた携帯に
たくさんのメールが届いていることにも気づく。
(夜なので、明日返事させてくださいねー。ホントありがとうございます。)

色紙を読むと、けっして優しい言葉をかけなかった
今回の伊江島で一緒だったメンバーからの言葉も。
あぁ、ありがたい。申し訳ないくらい。
大人げないなぁ、私。と改めて思う。
間違ったことをしたつもりもないけど、
もうちょっとちゃんと伝えてもよかったな、と後になって思う。

愛することは、一度嫌いになることかな、とふと考えた。
私の大切な人はみな、お互い「キライ」もよく知っている。
「キライ」も含めて、好きになる。言い合える。
そんな関係こそ、ホントに『たいせつなひと』じゃないか。

お茶を飲み、他愛もない話に花を咲かせて
気がつけば3時。
ゆったり。
まったり。
安心しきって過ごせる時間。

伊江島での思い出、
自分の大人げない話も含めて、
じっくり聞いてもらった。
次は、このメンバーとも島に行きたい。
いや、むしろ島に行かなくても、とも思った。
島で気づいたことは
きっともうわかっているだろうし。

そうか、やっぱり。
知る、ではないのだ。
気づく、のだ。

島でのいろいろな体験=キッカケを経て、
本来、人間が大切にしたかったものに気づくだけなんだ。

いわゆる便利なものはないないづくしの島で
「あるもの」に目を向け
それをすばらしいと感じる心。

自分の中にも同じ事が言えるのだと気づく。
できない、ではなく、「できる」に目を向ける。
そうすれば、自然と何かが形になる。

私は、感覚的にそれが分かる。
ライフラインのない暮らしでも、
何はなくとも、生きて行ける。
覚悟を決めて、生きて行くしかないという
あきらめもついている。
一人で生まれ、一人で死んで行く。
でも、「ひとり」じゃないことを、知っている。

「生かされている」感謝と
「生きている」という思い。
死ぬまで生きることしか、私にはできないんだから。
もっともっと、自分をいい状態にしたい。
そうすることで、もっといろんな人を輝かせられる気がする。

伊江島が教えてくれたこと。

島の良さは、と聞かれるけれど
島のために、とか
自分のために、とか
細かい事は『どうでもいい』。

自分をさがしに、とか、癒しとも違う。
いわゆる言葉通りの「おもてなし」を受けたいなら
高級ホテルにいけばいい。

「心づくし」はマニュアルにないし、予定されてもない。
お客さん、ではないスタンスでないと
本当に求めるものは、得られないと思う。

島には、理屈がない。
ただ、来ればいい。
目の前の出来事に、真っ正面から向き合い
そんな単純な事すらできにくい
生きにくい毎日を過ごしている事に気づけたら
自然と答えが見つかるから。


外は豪雨。雷がさっきからやまない。
一大年中行事である綱引きを控えた糸満を出て、
高知県での視察、東京でのミーティングなどなど
明日からしばし出張です。

28歳。
第2の人生、折り返しです。
もしかしたら、今年からは第3の人生かもしれません。

新しい環境でのスタートを
こんな幸せな気持ちで迎えられたことと、
あまり孝行していないけど
今の私のベースとなるチカラをつけてくれた両親に
そして、支えてくださるたくさんの先輩方に
心でそばにいてくれる仲間たちに

私を愛してくれる、たくさんのみなさまに
愛と感謝をこめて。

2008.9.13 藤原奈央子


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この記事へのコメント
藤原さん

夢応援寺子屋スクール生のちゃめ(古川仁美)と申します。
今津さんのブログから飛んできました。

遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。
今回の合宿で、藤原さんに教えていただいたこと、
それは本当に貴重で。
私にとって、足りなかったことが多くあって、
周りが見えていなくて、
まだまだ出来たことっていっぱいあるやろって思って、
正直悔しい気持ちでいっぱいです。
この気づきは本当に大事であったと思っていまして、
この悔しさとか、気づきを絶対に忘れないで生きたいです。
次お逢いした時には、「ちょっとは変わったんちがう?」と思っていただけるべく、
これから進んでいきたいと思っています。

本当に、本当にありがとうございました。
心から、感謝申し上げます。
Posted by ちゃめ at 2008年09月14日 23:50
ちゃめ、ありがとう。

気づいたこと、どんどん動いて行こう。
やりたいな、と思った時から
もう既に始まってるから。

私も、まだまだです。
一緒に成長して行きたいです。
よろしくね。
Posted by 705 at 2008年09月22日 02:54
藤原さん、沖縄では大変お世話になりました。
宮崎のウォーリーです。


はっきり言って、悔しさが一番濃かった沖縄でした。

気づくまでに時間がかかり、
行動までにはさらに時間がかかる。
すぐに気を抜いては、同じ過ちを繰り返す。


あのあと、ゆうじさんからも怒られました。
「これは、ウォーリーのポテンシャルとしてはない」

これほど悔しい言葉はありませんでした。




これからは口だけの「ありがとう」ではなく、
行動でも「ありがとう」がいえる人間になります!!

それは、藤原さんと話すことがなければ気付かないことでした。


でもあえて言います。


ありがとうございました!!!!
Posted by ウォーリー at 2008年09月22日 22:05
気づいても、動けなければ同じこと。

今の自分も、それが課題で
とても苦しんでいます。

また会えるのをたのしみにしています。

ありがとう。
Posted by 705 at 2008年09月27日 02:59
 
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